糸杉は北風に逆らわず真っ直ぐ伸びる
南仏プロヴァンスには、「ミストラル」と呼ばれる強烈な北風が吹く。
その風が通り過ぎたあとの景色は、まるで違う。 空気中の塵や湿気は吹き払われ、遠くの山の稜線まで、くっきりと戻ってくる。光は深く、鋭くなる。
「ミストラルが通ったあとの空は、いつもこうなるのよ」 と、嬉しそうに話すマダムの声が耳に残る。
そんな澄み渡った空の下、道沿いの糸杉は空へ向かって真っ直ぐ立っている。 細く、高く、静かに。
あれほど激しい北風が年間百日も吹き荒れる土地で、なぜ、あの姿でいられるのだろう。
最初は、地中深くに根を張り、力で風に抵抗しているのだと思ったが、
そうではなかった。
糸杉は、そもそも風と争っていない。
風に抗うのではなく、風を受け流すのでもない。闘わないとは、しなることではなく、そもそも争う形をしていないこと。
あの細長い円錐形の樹形は、何百年もの間、ミストラルに応答し続けた結果、風と争う面積を、彼らが自ら極限まで手放していった姿なのかもしれない。
太い枝を広げず、葉を茂らせすぎず、ただ垂直に、細く、高く。
ただそこに吹く風に、自らの在り方で、彼らは応答している。
糸杉の静けさを見ていると、そんなことを思う。
外から吹いてくる風の向きを、人は変えることができない。
自然も、人生に突然訪れる出来事も、私たちの都合では動かない。
糸杉もまた、ミストラルを選ぶことはできない。
ただ、その風に在り方で応答するだけだ。
けれど人間は、自分の内側に、どの方向から風を吹かせるのかを選ぶことができる。
静かな部屋で目を閉じたとき。
朝の冷たい水で手を洗うとき。
自分が本当に向かいたい未来を思い描くことで生まれる、内側の風向き。
どんな意図を持って生きたいのか。
何を大切にして、どこへ伸びていきたいのか。
その風を、自分で吹かせる。
そして、糸杉がミストラルに応答するように、自分が吹かせたその風にだけ応答して生きる。
力で自分を変えようとするのではなく、自分の中に吹かせた風の形に、そっと身を沿わせてみる。
外の風と争う面積は、自然と小さくなる。
プロヴァンスの糸杉は、今日もミストラルの中で静かに立っている。
風向きを変えようとはしていない。
ただ、その在り方で応答しながら、まっすぐ空へ向かって伸びていく。
その姿を見ていると、時々思う。
外の風と闘うのをやめて、自分の中の風にだけ応答してみること。
そういう在り方を選ぶことができるなら、人はもう少しだけ、軽やかに立っていられるのかもしれない、と。
Yasuyuki SAITO

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