日本人は、誰に向かって『いただきます』と言うのか

南仏から帰国した翌朝のことを、よく覚えている。

時差の残る静かな部屋。窓の外はまだ暗く、冷えた空気が足元に溜まっていた。 台所で湯を沸かし、ありあわせのもので小さな朝食を整えた。

箸を持ち、器を前にしたとき、気づいたら手が合わさっていた。

「いただきます」

声に出したわけでもなく、誰かに聞かせるためでもなく。ただ、自然に。

その瞬間、プロヴァンスのテラスで過ごした夕食が、遠い記憶のように浮かんだ。

ワインのグラスが触れ合う音。「Bon appétit」と言う掛け声。今この瞬間を、テーブルを囲む人と分かち合うための、美しい合図。

あちらには、あちらの豊かさがある。


けれど、この静かな朝の食卓には、まったく別の何かがあった。

「いただきます」と口にする、ほんの2秒ほどの所作。

その瞬間だけ、空気が少し変わる。

目の前にある料理。 土の中にあったもの。 見えないところで動いてきた誰かの手。これから自分の一部になるもの。

名前のないものたちが、一瞬だけこちらを向く。

「Bon appétit」は、同じ空間を共にしている人へ向けた言葉だ。 

「いただきます」は、ここにはいない、目に見えないものへ向けた言葉だ。

どちらが深いという話ではない。 ただ、言葉が接続しようとしている場所が、静かに違う。

外から戻ってきたからこそ、そのことが、初めてはっきりと見えた気がした。


海外で長く暮らしていた人が、こんなことを言っていた。

「日本に帰ってきて、ごはん屋さんで誰かが小さく『いただきます』とつぶやくのを聞いたとき、なんだかひどく安心したんです」

その気持ちが、あの朝の台所で、ようやく腑に落ちた。

これは単なる食事の合図ではない。 見えないものと、「共に在る」ことを思い出すための、小さな儀式なのだと。

そして、この言葉にはもう一つ、とても静かな層がある。

ひとりの部屋で「いただきます」と口にする瞬間、 そこには同じ言葉を繰り返してきた親や、祖父母、さらに遠い祖先たちの時間が重なっている。

何百年ものあいだ、この土地の人々が食卓の前で繰り返してきた反復。 食べる前に感謝を置き、命に対して静かに頭を垂れる。

その途方もない声の連なりの中に、いま、自分の小さな声が置かれる。

ひとりで食べているようでいて、本当はひとりではない時間。


「私には思想なんてありません」 そう言う人は、意外と多い。

けれど、思想とはもっと静かに、日常の所作の中に潜んでいるのかもしれない。

「こう考えています」と宣言する前に、 「こう生きています」として、もう滲み出てしまっているもの。

私たちが何気なく繰り返している習慣には、すでに静かな思想が流れている。

もし、ひとりの食卓で、その言葉を自然と口にしている瞬間があるのなら。

あなたはすでに、その思想の中にいるのかもしれない。

Yasuyuki SAITO


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