時計を見る。まだ二時か、と思う。呼吸を数えてみる。数えるのをやめると、また数えている。明日のことを考える。考えるのをやめようとして、考えるのをやめようとしている自分に気づく。
眠れない夜をすごす人の話は、よく聞きます。
眠ろうとするほど、目が冴えていく。そして眠ることが目的になり、努力の対象となる。
「寝る前に、何をすればいいのか。」
そう検索すると、いくつも出てきます。温かい飲み物。画面を見ないこと。軽いストレッチ。眠りを良くするための方法が、並んでいます。
しかし眠ろうとする努力は、往々にして眠りを遠ざけます。なぜなら眠りは、するものではないからです。
一日が、終わっていない
眠る前に、することは、ありません。ですが、一日が終わっていない、ということはあります。
日付は変わっているのに、頭の中ではまだ今日が動いている。その状態のまま布団に入ると、眠りは後ろにずれていきます。だから、一日の終わりには、終わりの形が要ります。眠りを良くするための形ではなく、今日を閉じるための形です。
一日の終わりは、幕でできている
日常生活に静けさを取り戻すための思想『Ritualtude』の第四の儀式である codex vivant φ004 は、一日を終わらせるために、カーテンを閉めることを求めています。
両手で布を掴み、窓の端から端へ、ゆっくりと引く。ただ、幕を引く。眠るためではありません。明日に備えるためでもありません。今日を、自分の手で閉じるためです。
カーテンでなくても構いません。雨戸でも、ブラインドでも。あなたの夜に、もうある方法で。
幕を引かなくても、朝は来ます。それでも、幕があると、一日に終わりができます。
今日と明日のあいだに、名前のない時間がある
幕が下りると、部屋に時間が生まれます。
φ004は、こう書いています。
この時間には、名前がない。夕暮れでもなく、夜でもなく、今日でもなく、明日でもない。
名前がないので、そこは何かをする場所ではありません。何かを良くする場所でもありません。名前がないまま、そこにあります。
プロヴァンスの雨戸は、毎晩こう告げています。
「今日は、ここまで。明日は、まだあとで。」
幕の内側には、しばらく何もありません。名前をつける必要もありません。
眠れない夜は、あります
そして眠りは、閉じた一日の、そのあとに来ます。遅いこともあります。来ない夜もあります。
眠ろうとしないでください、という話でもありません。眠くなれば、眠ります。できない夜は、できないだけです。何かを間違えたわけではありません。
眠るために何かをする必要は、ありません。それでも、自分の意志で瞼を下ろすという所作には、意味があります。先月、日曜コラムに瞼を下ろすことは、一日を看取ることと書きました。あの所作も、眠るための準備ではなく、今日という一日への見送りです。
今夜は、ただ、眠るだけ。
※ 眠れない日が何日間も続いているなら、それは、このコラムの外の話です。医療機関(睡眠外来・精神科、心療内科)に相談してください。
〜追伸〜
ここに、世界と出会い直す全30の儀式が開かれています。思想、写真、詩、音楽、解説。五つの層で、150篇。氏名も、クレジットカードも必要ありません。
Ritualtude は、あなたの意図に宿ります。
Discussion