Dernière Chaleur - Ritual Philosophy
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1日を終わらせる儀式


時間は、切れ目なく続いている。

午前0時になっても、あなたの今日は終わらない。日付が変わっても、頭の中では仕事のメールが鳴り続け、明日の予定が点滅している。ベッドに入り、目を閉じ、やがて意識が途切れる。

それは「今日を終わらせた」のではない。

ただ、気を失っただけだ。

今週、あなたに求めるのは、ただ一つ。

1日を終わらせるために、カーテンを閉めてほしい。

外が眩しいからでもなく、視界を遮るためでもなく、
部屋の中を外気から守るためでもなく。

両手で布を掴み、窓の端から端へ、ゆっくりと引く。

ただ、幕を引く。

今日を、あなた自身の手で閉じるために。

カーテンは朝から、窓の隅で待っている。

光を通すために端に寄せられ、風が吹いても動けず、ただそこに在る。

しかし、あなたが布に触れた瞬間、カーテンは解放される。

レールの端から端へ、窓全体を覆うように旅が始まる。

閉じることは、カーテンにとって「開く」ことだ。

そして、そのとき、部屋に時間が生まれる。

今日は、もうここにない。

明日は、まだ来ていない。

あなたは、どちらにも属さない時間の中にいる。

この時間には、名前がない。

夕暮れでもなく、夜でもなく、今日でもなく、明日でもない。

プロヴァンスは、何世紀も前からこの時間を知っていた。

陽が沈むと、家々の雨戸が静かに閉まっていく。それは防犯のためでも、断熱のためでもない。「今日を終える」という意志の表明だ。

雨戸が閉まった家は、近隣に告げている。

「今日は、ここで終わりです。」

そして、家の中には、今日でも明日でもない時間が生まれている。

あなたがカーテンを閉める所作が、プロヴァンスの先人たちが雨戸を閉める所作と1つになる。

カーテンは開き、明かりが灯る。

つながる時間。

私たちは、多くの場合、時間に所有されている。

朝起きた瞬間から予定に追われ、夜眠る直前まで通知に支配され、気づけば365日が過ぎている。

しかし、人には「思いを馳せる自由」がある。

カーテンを閉める行為が、カーテンにとって開かれることであるように。

雨戸を閉める行為が、明かりを灯すことであるように。

今日を終わらせる行為は、明日をまだ始めないという選択であり、

思いを馳せたその先にあるのが、あなたである。

この時間が、あなたを醸成する。

外から与えられた時間ではなく、自分で創った時間が、人を自分にする。

自分とは時間である。

過去から流れるのも時間。

未来から流れるのも時間。

そして止まるのもまた時間であり、

それを「意志」という。

その中で過ごした数分間、数時間が、外の世界に左右されない人格を作る。

プロヴァンスの雨戸は、毎晩こう告げている。

「今日は、ここまで。明日は、まだあとで。」

あなたのカーテンも、同じことを告げている。

「今日は、ここまで。明日は、まだあとで。」

Ritualtude は、馳せる時間を祝福する。