信号が赤になった。手が、ポケットに伸びている。
画面を開く。閉じる。歩き出して、もう一度開く。何かがあったわけではない。通知が来たわけでもない。それでも、手はもう一度、伸びている。
スマホをやめなきゃ、と思ったことがない人は、少ないと聞きます。
デトックスは、闘いの名前です
「デジタルデトックス」とは、端的に言って毒抜きです。デジタルを抜くべき「毒」だと決めた瞬間、スマホは敵になります。
敵ができれば、そこに闘いが生まれます。タイマーをかける。アプリを消す。画面をグレースケールにする。敵と闘うためのさまざまな手段が、提唱されています。
でもその闘いは、今日勝っても終わりません。敵は、明日もそこにいます。
そして、闘いには理由が要ります。集中のため。睡眠のため。大切な人と過ごす時間のため。人は何かしらの理由をつけて、デジタルデトックスという闘いに臨んでいます。
以前、この日曜コラムにルーティンが続かない理由を書きました。外から持ち込んだ理由は、いつかなくなります。理由が去った夜に、手はまた、スマホへと伸びます。これが、デジタルデトックスが続かない、一番の理由です。
では、逃げればいいのか
闘わずに避ける、という手段もあります。山に籠る。機内モードにする。そもそも手放してしまう。
逃げているあいだは、確かに静かです。けれど、静けさだけでは足りません。大事なのは、下山したあとです。戻ってきた日常で、また手が伸びるなら、それは逃げたのではなく、一時的に離れていただけです。
闘うことも、逃げることも、「デジタルは毒であり、スマホは敵である」という前提に立っています。だから、闘っても逃げても、スマホが主語のままです。
闘う人はスマホを見つめ、逃げる人はスマホを気にしている。どちらも、一日の中心にスマホがいることには変わりません。
体はここにあって、心はどこにもいない
Dernière Chaleurは、この状態を「不在」と呼びます。
体はここにあるのに、心はどこにもいない。
食事をしているのに、画面の中にいる。話を聞いているのに、通知のことを考えている。朝、手を洗っているのに、頭はもう今日の段取りの中にいる。
問題は、画面ではありません。画面の中に心を置き去りにして、ここにいないことです。
毒を抜いても、不在は治りません。敵を消しても、あなたは戻ってきません。
逃げず、闘わず、ただここにいる
では、どうするのか。その問いに、Ritualtude はこう答えています。
逃げず、闘わず、ただ『軽やか』に在る。
第三の選択肢は、スマホをどうにかすることではなく、自分がここにいることです。
だから、今夜の所作は、ひとつです。食事の前に、スマホを裏返す。画面を下に向けて、テーブルの端に置く。それだけです。
消す必要はありません。遠くに運ぶ必要もありません。伏せる、という動作に、ひとつだけ意図を置きます。
「今は、ここにいる。」
伏せた画面の向こうで、世界は動き続けています。誰かが投稿し、誰かが急ぎ、ニュースが流れている。それでいいのです。
世界は、あなたが見なくても回る。あなたは、いま、ここにいる。湯気と、向かいの顔と、手の中の重さのある場所に。
スマホは、悪ではありません
ひとつだけ、断っておきます。スマホは、悪ではありません。遠くの人と話せる。迷った場所に連れていってくれる。今夜読んでいるこの文章も、おそらくその画面の中にあります。
悪いのは道具ではなく、道具の中に自分を置き去りにすることです。
デジタルデトックスが続かないのは、あなたの意志が弱いからではありません。闘う、という構造が、もともと続かないようにできているのです。
闘わなくていい。逃げなくていい。
画面を伏せて、ここにいる。
今夜は、ただ、ここにいる。
〜追伸〜 世界と出会い直す全30の儀式。思想、写真、詩、音楽、解説。五つの層で150篇。Day 1からDay 4まではどなたでも、Day 5は無料会員の方が読めます。
そして、「預ける」ことを丸ごと体験する場所もあります。新月と満月にだけ開かれる、プロヴァンスの山の3泊4日——Ritualtude “MOON & Art de Vivre”。デバイスは鍵付きのBOXへ。奪うのではなく、預けるのです。
Ritualtudeは、あなたの意図に宿ります。
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