無音であることは心の静寂をもたらすのか?

集中したい時。心を落ち着かせたい時。

ノイズキャンセリングのイヤホンをつけて、スイッチを入れる。 周囲の音がふっと遠ざかり、自分だけの空間が手に入る。

たしかに、周囲が少し柔らかくなるような感覚はある。

けれど、音を完全に消してしまえば、心は本当に静寂を得られるのだろうか。

以前、ある施設で「完全防音室」という場所に入ったことがある。

壁も床も特殊な吸音材で覆われ、外部の音が一切入ってこない空間。 扉が閉められた瞬間、訪れたのは安らぎではなかった。

急に空気の密度が上がり、押しつぶされそうな感覚を覚える。 空間の広がりが感じられず、まるで継ぎ目の無い箱に閉じ込められたような感覚。

長くはいられない場所だ、と思った。


すべての音が消えたその場所にあったのは、静寂ではなく断絶だった。

その感覚を思い出しながら、ベッドの中で耳を澄ませる。

自分の部屋は、決して無音ではない。

台所の奥で、冷蔵庫が低く唸っている。 壁の時計が、規則正しく刻んでいる。 壁の向こうで水が細い管を通っていく。

言ってしまえばそれらは、ノイズかもしれない。

けれど、その微かな音に気づいているとき、不思議と心は落ち着いている。

冷蔵庫の低い唸りや管を水が流れるかすかな気配は、「万物がそこに在る」という静かな合図のようなものだ。

自分はひとりだけれど、万物は確かに存在していて、自分もその一部としてここに在る。

微かな音たちに耳を澄ませるとき、その見えないつながりが、静かに浮かび上がってくる。

ひとりで、静かに。

でも、万物とともに、確かに。


無音であることと、心に静けさがあることは、似ているようで違うのかもしれない。

音をすべて排除して自分を孤立させるのではなく、 万物に耳を傾け、その存在とつながることで、自分の内側に静けさが訪れるということ。

もし今夜、部屋のどこかで小さな音が聞こえたなら。

それを消すべき対象としてではなく、万物がそこにある事実として、ただ静かに受け取ってみる。

そんな夜の過ごし方の中に、心の静けさがそっと宿る瞬間があるのかもしれない。

Yasuyuki SAITO