衣替えという時間旅行

6月になると、クローゼットの前に立つ時間が少し長くなる。

湿気を帯びた空気の中で、厚手のコートやウールのセーターを見つめる。

薄手のシャツを手前に移し、冬服を奥へ送る。毎年繰り返している作業のはずなのに、その瞬間だけ、少しだけ時間の流れが変わるような気がする。

手で冬服にしばしの別れを告げている間、心の中では去年の冬、プロヴァンスを訪れたときのことを思い出す。

朝の空気は刺すように冷たく、石造りの家の中は薪ストーブの柔らかな熱で満たされていた。

その家の主人が、暖炉に薪をくべながら、火を見つめて、ぽつりと言った。


「この火を見ると、6月の日差しを思い出すよ」

それだけだった。

彼にとって、それは説明でも哲学でもない。

ただ、冬の火の中に、夏の手仕事が宿っているという、当たり前の感覚だった。

けれど、ストーブから広がる確かな熱を感じながら、私は思った。

冬の喜びは、冬になってからでは作れないのだと。

火にくべる薪を持つ主人の手は、6月に薪を割った彼の手と握手をしているように見えた。

こんな朝を想像してみる。

半年後の12月。まだ暗い部屋で目を覚まし、冷えた床に足を下ろす。 クローゼットの奥から一枚のセーターを取り出すとき、その毛糸に指が沈む感触。

その安心感は、冬になってから突然生まれたものではない。

あの6月の、少し汗ばむ午後。 ほんの数分だけ、そのセーターを丁寧に畳んでクローゼットの奥へ仕舞った瞬間。 そこに、すでに仕込まれていた。

半年後の朝、その服を取り出すあなたの手は、今日それを仕舞ったあなたの手と出会う。

それはまるで、未来の自分との待ち合わせのようだ。


衣替えというのは、「今」のための作業に見えて、実は「未来」の自分に会いに行く小さな時間旅行なのかもしれない。

冬服にとって、夏は不在の季節ではない。 ただ、声をかけられない季節であるだけだ。

6月に冬服へ手を伸ばすことは、まだ来ない季節に、先回りして手を差し出すことだ。

もし今週末、クローゼットの冬服を仕舞う時間があるのなら。

何か新しいことを始める必要はない。 

ただ一枚、手に取って、半年後の朝の自分を少しだけ想像してから、畳み直してみる。

それだけでいい。

それだけで、半年後のあなたは、少しだけやわらかい冬の朝に、今日のあなたと再会する。

Yasuyuki SAITO