電気を孤独にさせない

夜遅く帰宅して、マンションの廊下を歩いていると、ふと自分の部屋の窓が見える。

明かりがもれている。朝、慌てて出かけるときに消し忘れたらしい。

誰もいない部屋で、白い光だけがぽつんと灯り続けている。

「しまった」と思う気持ちの後ろには、実は2つの層がある。

電気代がもったいない、と思うのか。それとも、誰もいない部屋でひとり灯り続けさせてしまって申し訳ない、と思うのか。

曇った鏡を拭き、ドアの軋みを直し、家がこぼす涙に応えるようになると、今度は、誰もいない廊下の突き当たりの小さな明かりが気になり始めた。


「どうせまたすぐ戻るし」「消すほどでもないか」

そう思って部屋を出るとき、電気は役目を失ったまま、そこに残される。

自ら消えることもできず、気づかれないまま、あなたの帰りを待ち続けている電気が、家のどこかにある。

私たちは友人と別れるとき、そのまま黙って歩き去ったりはしない。

「じゃあね」と言って歩き出し、数歩進んだところでふと振り返る。

相手も振り返り、お互いに小さく手を上げる。

その数秒の余韻があって初めて、一緒にいた時間に心地よい区切りがつく。


では、電気に対してはどうだろうか。

友人との別れ際に振り返って手を振るように、部屋を出る前に、壁のスイッチへそっと指を伸ばす。

「電気代がもったいないから」ではなく、「今日も一緒にいてくれてありがとう」という気持ちで。

パチッという小さな音。

その一瞬が「またね」という共に過ごした時間との区切りがつく。

その何気ない身のこなしが、万物と共に暮らすという静かな豊かさを、あなたの日常に連れてきてくれるのだと思う。

Yasuyuki SAITO