目が覚めて、カーテンの隙間から光が入ってくる。昨日とほとんど同じ角度で、同じような色をしている気がする。

「ああ、またいつもの朝か」

そうつぶやいた瞬間、実はもう一つ起きていることがある。

今日という朝に、「いつもの朝」というラベルを、そっと貼ってしまう、という出来事だ。


一度そう名付けてしまえば、それ以上、細部を確かめる必要がなくなる。

「いつもと同じ」という箱に、今日という一日をそのまま入れてしまえば、もう見なくていい。

でも、「いつもの朝」というラベルの下には、ひっそりと埋もれているものがある。

この朝が来るためには、地球が自転を続け、太陽が昇り、あなたの心臓が鼓動を続け、意識が再び目覚める、という途方もない連鎖がある。

その連鎖がひとつでも欠ければ、朝は来ない。

自分という命と、地球や太陽の営み。それらが「いつもの朝」という言葉の下に、静かに重なり合っている。


「またいつもの朝か」と思う気持ちを、否定しなくてもいい。

ただ、そのラベルを貼る前に、その下に何が隠れているのかを、確かめてみることはできる。

もし明日、「またいつもの朝か」と思う瞬間があったなら。

心のなかで、もうひとつだけ、心のなかに置いてみる。

「でも、この朝を支えてきた、数えきれない営みがある」と。

地球の自転も、心臓の鼓動も、当たり前に在るものではない。

無理に意味を見出そうとしなくていい。毎朝、ただ繰り返すその循環に、数秒だけ敬意を置いてみる。

そのとき、「いつもの朝」という言葉は少しだけ奥行きを帯び、あなたという存在はその朝に在る。

Yasuyuki SAITO