朝、歯を磨く。
鏡の前で、同じ手順で、同じように。泡立てて、磨いて、すすいで、タオルを元の場所に戻す。考えなくても、手が動く。
身についた、という状態だ。
習慣づくりに、熱心な人が増えた。毎日続けること。やめないこと。三日目に休まないこと。そうして何かを「身につける」と、人は安心する。
「習慣が身につくまで」という言葉がある。ここまで続ければ、あとは自動的にやってくれる、という意味だ。身につくことを、まるでゴールのように言う。
けれど、身についたあとのことは、だれも教えてくれない。
21日という数字は、「習慣化するまで」の話だ
習慣をめぐる話によく出てくる、習慣を身につけるには21日かかる、という言説。もとは1960年、アメリカの形成外科医マクスウェル・マルツの「手術で変わった自分の顔に、患者が慣れるまでに約21日かかった。」という話が、いつのまにか習慣化の日数として広がったらしい。
でもこの話は、「習慣化するまで」の話だ。
考えなくてもできるようになった、その先のことは、数字の外に置かれている。
考えなくてもできる。それは便利だ。便利であることに、文句はない。 ただ、同時に、感じなくなっていることがある。それに気づく人は、とても少ない。
今朝の水は、昨日の水と、本当に同じ温度だっただろうか
水の温度。泡の音。鏡に映る自分の顔。いつもの道の、風の匂い。毎日同じように繰り返しているから、同じものだと思っている。今朝の水は、昨日の水と、本当に同じ温度だっただろうか。
たぶん、違う。ほんの少しだけ、違う。
その違いに、手のひらが気づいているかどうか。
身につけたら、終わりではない。身につけたあと、一度だけ、意識を戻してみる。そのとき、水の温度は、いつもと少し違うはずだ。昨日の自分と、今日の自分も、少し違うはずだ。
続けているのに、何も感じない朝があるとするなら。
その朝は、習慣が身についた日ではなく、慣れることを、もう一歩進めてしまった日なのかもしれない。
身につけることだけが、ゴールではないかもしれない。
身につけたあとも、その朝を、感じつづけられること。 それを続けられた人だけが、たどり着ける世界が、きっとある。
明日の朝、歯を磨く前に、手を洗ってみる。
それは、続けるためではない。
その瞬間の水を、感じるために。
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