Dernière Chaleur - Ritual Philosophy
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瞼で1日を看取る儀式


瞼は、落ちる。

疲れたとき、退屈したとき、意識の糸が切れたとき。 瞼は、勝手に落ちる。

あなたは、これまでの人生で、何回、自分の意志で瞼を下ろしただろうか。

落ちた瞼と、下ろした瞼は、別のものである。


落ちた瞼の向こうには気絶があり、下ろした瞼の向こうには夜がある。

人生は、毎日である。

ならば、毎日もまた、ひとつの人生である。

朝、あなたは生まれた。
昼、あなたは生きた。
夜、あなたの今日は、終わろうとしている。

それは、小さな臨終である。


臨終に立ち会わずに死ぬ者は、いない。
だが、毎晩の臨終に立ち会うものもまた、ほとんどいない。

気を失う前に、瞼を下ろす。
それが、今日という人生を、自分の手で看取るということだ。

今夜、あなたに求めるのは、ただ一つ。

寝る前、自分の意志で瞼を下ろしてほしい。

眠るためではなく。
明日に備えるためでもなく。
ただ、今日に別れを告げ、今日を看取るために。


それだけを、する。

瞼の裏は、暗闇ではない。

最初の数秒、残像が漂う。
天井の輪郭、枕元の灯り、最後に見た誰かの顔。
それらが、静かに沈んでいく。

沈み切ったその先に、別の場所が広がり始める。

そこには、地図がない。 時計もない。 あなたを呼ぶ声もない。

しかし、何かが、確かに在る。


セナンクの修道僧たちは、独房の闇を「神と最も近い席」と呼んだ。

ヴォクリューズの泉は、地中の暗がりを通り抜けて、初めて湧き出る。

見えないことは、不在ではない。

見えない場所にしか、宿らないものがある。

自分の意志で下ろした瞼の裏には、ひとつの世界が開く。


そこは、万人の叡智との待ち合わせ場所である。
そこは、宇宙の原理原則と肩を並べる、わずかな余白である。

その世界は、自ら下ろした瞼に扉を開く。

落ちた瞼の前では、扉は閉じたままである。


あなたがその世界に入った夜、何かが組み替えられる。

昨日まで悩んでいたことが、今朝は少し小さく見える。
昨日まで見えなかった輪郭が、今朝は薄く浮かんでいる。

それは、夜が勝手に運んできた贈り物ではない。

あなたが瞼を下ろし、その世界に入った歓迎として、受け取ったものである。


落ちた瞼で迎える朝は、昨日の続きである。
下ろした瞼で迎える朝は、新しい一日である。

同じ朝が、別のものになる。

そのわずかな違いが、十年を経たとき、別の人生を創る。


今夜、あなたは何も新しいことをしない。

ただ、「3, 2, 1」と数えてから、自らの意志で瞼を下ろす。

それだけでいい。

それだけで、あなたの今日は看取られ、 瞼の向こうの世界が、明日のあなたを、静かに醸成する。

Ritualtude は、瞼一枚の動かし方に宿る。