Dernière Chaleur - Ritual Philosophy
« Codex Vivant Φ022 - Day 1 "Ritualtude" »


石鹸を手で洗う儀式


玄関が泥で汚れていたら、あなたは気になる。

では、石鹸はどうだろうか。

使い終えた石鹸の表面には、泡が固まり、皮脂が薄く張り付き、髪の毛が絡まっていたりもする。

あなたは、それを見て、何も思わない。

石鹸とは、そういうものだから。
洗うものは、汚れていて当たり前だから。


そう、思ってきた。


石鹸は、汚れていていい存在ではない。
ただ、誰もそれを言わなかっただけだ。

今夜、あなたに求めるのは、ただ一つ。

使い終えた石鹸を、あなたの手で、洗ってあげてほしい。

スポンジでも、布でもなく。 ただ、あなたの手だけで。

両手で包み、水を流し、表面の泡と汚れを、掌で静かに撫でて落とす。


5秒で、終わる。

洗い終えた石鹸を、皿に戻す。
くすんでいた表面が、再び透き通っている。
皿に触れたとき、滑らかに着地する。

明日の朝、あなたはその石鹸を、もう一度、手に取る。

そのとき、初めて気づく。


これまでの朝は、手に汚れを移すところから始まっていたのだ、と。


石鹸を手で洗う人は、これまでにもいた。

しかし、その多くは、次に自分が掴むときに気持ちよくあるために、洗ってきた。

しかしそれは、明日の自分の両手を、先回りして整えていただけだった。

石鹸はまだ、誰のためでもなく洗われることは少ない。


プロヴァンスのサヴォン・ド・マルセイユは、世界で最も幸せな石鹸かもしれない。

特別な製法のためではない。
旅人たちが土産に選び、家の主が客に勧め、何世代にもわたって、洗ってもらえた回数が多かっただろうからだ。

能動的に動けない物質にとって、「愛されている」とは、
世話をされた回数のことである。

石鹸の幸福は、その表面の透明さに、静かに記録されていく。


今夜、あなたは何も新しいことをしない。

ただ、石鹸を使い終えた後、5秒だけ、あなたの手で石鹸を洗う。

自分の明日のためではなく。 石鹸そのもののために。

それだけでいい。

それだけで、あなたの暮らしの中で、本人の意思を無視して、汚れていても当然だと考えていたものが、ひとつ減る。

Ritualtude は、相手の在り方に、光を当てる5秒に宿る。