Dernière Chaleur - Ritual Philosophy
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※[Codex第1巻最終回]
万物のために手を洗うという儀式
手を洗う。
これほど普遍的な所作を、あなたは他に知っているだろうか。
祈りには、信じる者と信じない者がいる。
瞑想には、続けられる者と続けられない者がいる。
だが、手を洗うことを、続けられないものはいない。
生まれてから今日まで。
毎日。たまに。ときに洗わない時間が長く続いたとしても。
あなたはこの所作だけは、続けてきた。
Ritualtude で、初めて「朝のため」に手を洗った。
その5秒、朝が今日も来てくれたという事実に対して、感謝を向けた。
そしてある日、家のためにも手を洗った。
共に暮らす場所への、敬意として。
共に在る者のために。
その先に、まだ、あなたが感じていない誰かがいる。
今日、あなたに求めるのは、ただ一つ。
万物のために手を洗うという儀式を、人生に「加えて」ほしい。
顔も知らない誰かのために。 まだ言葉を交わしたことのない生き物のために。言葉を話せないモノのために。名前がないかもしれないコトのために。身近な場所にある何かのために。遠い場所にある何かのために。
理由はいらない。
相手を選ばなくていい。
届いたかどうかも、確かめなくていい。
手を洗う。
それは、人が日常的に行う行為の中で、もっとも継続して反復し、且つ、意味のある行為である。
清潔のためにも、
予防医学のためにも、
何かと向い合うためにも、
食事のためにも、
敬意を示すためにも、
自らを再起動するためにも、
愛そのものであるためにも。
その瞬間、あなたが敬意を示したい何かへの思いを馳せて。
手を洗う。
今日、あなたは1つ新しいことを行う。
万物のために手を洗う。
もしくは、
手を洗う時に、万物への敬意を呼び覚ます。
これは感謝ではない。
感謝は、万物から受け取ったものへの代物返済である。
万物を認識し、共に過ごし、敬意を払う。
その気持を、「手を洗う」という行為を通して差し出す。
それだけでいい。
最初に手を洗ったのは、朝のためだった。
次に手を洗ったのは、家のためだった。
そして今、この手は、万物のために、開かれている。
Ritualtude は、そんなあなたから放たれるエレガンスである。
※あわせてお読みください。

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